孤独と自意識過剰の関係
文化系トークラジオLifeがこの間「友達」をテーマにしたので(→http://www.tbsradio.jp/life/20070422/)、古谷実の『わにとかげぎす』について何かヒントをと思い、メールを送ってみました。
古谷実に特化した内容だったので読んでもらえるか心配でしたが、さすがはLife、読んでくれました!!以下に送信したメールの抜粋を。
僕は古谷実原理主義者と名乗りたくなるくらい、古谷作品に強く同調してしまうんですが、今回のテーマを聞いて、連載中の『わにとかげぎす』に触れないわけにはいかないと思いました。
古谷実は、『稲中』以来ずっと疎外感・孤独感との格闘を描き続けてきましたが、『ヒミズ』を経てついに『シガテラ』で「結局ひとりなんだ」ということを描いてしまったように思います。しかし『わにとかげぎす』は、またもう一度孤独から出発しています。これまでとは異なる孤独との付き合い方を模索しているように思います。『シガテラ』までの一連の作品は、孤独の反対に「恋人」を思い描いていましたが、『わにとかげぎす』からは、孤独の反対に「友達」という「定義すらあいまいなもの」を置いています。これは、真正面から「孤独の克服」を目指すのではなく、確かにそこにあり、消すことのできない孤独を遠ざける、「孤独からの脱出」に移行したのだと思います。
以前「大人になること」の外伝で、柳瀬さんが「ある日突然、一人旅の旅先で退屈を感じてしまった。孤独を楽しめなくなってしまった」とおっしゃっていたのを思い出し、もう少しそのことについてお聞きしたいな、と思いました。
孤独のつまらなさを感じてしまったとき、それを埋めたいと思ったとき、思い描いたのは友達なんでしょうか?恋人なんでしょうか?それとも、何か別の共同体意識みたいなものでしょうか?
これに対して、柳瀬さんが返答してくださいました。
「孤独と向き合って面白い時期というのは、向き合った自分に何かがある、と思っている時期だと思う。だから旅行に行ったり、本に耽溺したりして、孤独を楽しむことができた。けれども大人になると、向き合った自分に大したものはないっていうのがわかってしまう。」
これを聞いて、ついこないだの体験を思い出し、大変納得したことがあります。
僕は、何かうれしいことがあったり、やり遂げたことがあったりすると、ひとりでこっそりお祝いをする習慣があって、学校帰りの餃子の王将で、大好きな餃子セットと生ビールを待つ時間が最高に好きだったりします。それは、絶対に誰からもジャマされたくない空間なわけですから、ケータイの電源だって必ず切ります。
ある日、彼女といつもの街を歩いていると、駅近くの空き店舗の改修が進んでいて、どうやら餃子の王将の新店舗がそこにオープンするようでした。思わず僕が「餃子の王将大好きなんだよ。餃子セットがイイんだけど、セットってのは餃子とキムチと卵スープとライスで、それらをただばくばく食べるだけじゃダメで(以下略)」などと熱く語ると、彼女は笑いながら「じゃあ今度一緒に行こうね。そのおいしい食べ方を教えてよ。」と返してくれました。その瞬間、僕の中で何かが失われていく気がして(自分で炊きつけておきながらw)、素直に「うん、行こうね。」と言えませんでした。餃子の王将すら失われたら、僕は、ぼ、ぼ、ぼくは、一体どうなってしまうのだろう!!(←バカw)、という大げさな不安に襲われたわけです(苦笑)。
今の彼女の存在は、僕に、自分でも認めたくないくらいイヤんなっちゃう事実を、彼女の前にさらけ出す決断をさせました。言い換えればそれは、自意識の殻を侵食される、という体験だと思います。付き合い始めたばかりの頃は、恐ろしかったり悲しかったりもしましたが、そのうち侵食されていくことに心地良さを感じるようになりました。そうして自分の中で「自分なんてこんなもんだ」というのを増やしていったように思います。
しかしその一方で、ひとりの時間をより充実させようという意識も高くなっていたようです。以前ならばいくらひとりの餃子の王将が好きでも、ケータイの電源を切ったりすることもなかったでしょうし、二人で店に入ることだってそんなに気にしなかったと思います。こんなに過度に反応するのは、「自分なんてこんなもんだ」という事実を認めながらも、どこかでこんな風に「でもやっぱり・・・」という捨てきれない部分を持っているからだと気づきました。
ここまで醜く逃げ惑う自意識の殻をどうしたら良いものか、と途方にくれながら、僕はもう一度、とても感動した雨宮まみさんという女性AVライター(id:mamiamamiya)のこのエントリ*1を読み返します→http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20070403。あ、AVってオーディオ・ヴィジュアルじゃないですよ。アダルト・ヴィデオですからね。念のためw
*1:僕は雨宮さんのこれを読んだとき、その場で泣き崩れたくなるような、そんな気持ちになりました。そして、これがとってもスゴイ体験だったのは、ただ感動したってだけではありません。「こんな体験できるのだろうか・・・」という突き放された感覚ではなくて、「こんな体験してみたい!!」というポジティヴさを身に付けることが出来ました。