新連載『ヒメアノ〜ル』第一話 これまでの流れからちょっと予測

 とにかく様子見なことは確か。てか、今回は「主人公を全肯定する女の子が出てこない説」に一票。
 これまでの古谷実作品をががが〜っとおさらいしちゃうと、まず大前提として「何を信じればいいかわかりません」みたいな状況があったと。
 デビュー作『行け!稲中卓球部』においては、そういう状況下で身体を信じた少年達が出てくる。理性で処理しきれない問題を抱えて痙攣している=爆笑している身体を信じ、全てを笑ってみせるという感覚をもって生きていこうとしていた。
 他の先鋭的なギャグマンガがそうであるように、『稲中』もまた連載が続くなか、昨日と同じネタは使えないという理由から先細っていき、やがては主人公前野や井沢に隠された切実な悩み=ある種の誠実さが顕わになってくる。それはつまり、受動的な・天然モノの「絶対」という存在が消失する「思春期の終わり」でもあった。
 その「思春期の終わり」の瞬間を描いた作品が『僕といっしょ』であり、「思春期の終わり」以後の作品として、それでも「絶対」を求める『ヒミズ』と『シガテラ』がある。『僕といっしょ』において、完全に思春期的な・受動的な・天然モノの「絶対」を消失した後、『ヒミズ』と『シガテラ』では、どのようにして「絶対」を能動的に・人工的に設定するか、ということが主題となっていた。
 さて、ここで「思春期の終わり」をとっくに通り越した、あるいは無縁であった登場人物の流れを考える必要がある。『グリーンヒル』のリーダー、『わにとかげぎす』の富岡君のこと。
 〜〜〜〜〜(中略)考え中〜〜〜〜〜〜
 新連載である『ヒメアノ〜ル』は、“緩る緩る”がキーワード。てか、古谷実がついに「まったり」に挑戦する、と思えなくもない。『僕の小規模な生活』や『アフロ田中』みたいに「絶対」をもとめることを諦めた「まったり」になるのか、それともまた別種のまったりになるのかはちょっとまだわからない。