「わにとかげぎす」第12話:革命初日

 だ・・・・だけどね・・・さすがにこんな男でも最近よーやく“これじゃダメだな”“これじゃその辺の石コロ大して変わらない生涯だな!”と思うようになって・・・・変わろうと決意したんです!孤独を罪ととらえ・・・・今までの不誠実を一気に清算してやろうと!いずれ俺は革命を起こす必要がある!いずれはこのぬるま湯から出なくてはならない!(中略)でも俺は出ない・・・・なぜかわかりますか?(中略)わかってしまったんです・・・このぬるま湯は・・・「もしかしたらかけがえのない最高のものなんじゃない?」と・・・
 じゃあ・・・・私が引っ張り出してあげましょうか?(中略)その最高のぬるま湯ははっきり言って錯覚です

 主人公富岡君(32)の住む孤独の世界とは、この世にありふれる様々な「めんどくさい」(グリーンヒル4巻:関口の発言)を回避した結果の空間です。グリーンヒルの関口は「めんどくさい」ことをきちんとできる立派な大人になりたいなあ、でもめんどくさいなあ、と考えます。ヒミズの住田は溢れかえる不安を前に、頼むからひとりにしてくれ、誰にも迷惑はかけないから、誰も俺に迷惑をかけないでくれ、と懇願します。実は、この「めんどくさい」と「不安」は同じものです。詳しくはこちらに譲ります。できたら以下を読む前に一読いただきたいです。
 ヒミズの住田はめんどくさい不安と戦い、やっとのことで孤独という楽園を勝ち取ったわけですが、富岡君は現世で孤独という楽園を生きています。やはり住田とは違うわけで、欲がたくさん出てくるわけです。「友達が欲しい」という、楽園そのものを揺るがすような欲望は、やはり楽園が絶望に見えてしまうから沸いてくるのです。 
 古谷実作品で必ず描かれているのは、社会に疎外される立場の男の子を、やさしさと厳しさを兼ね備える女の子が救うor救おうとするという図式です。これは稲中僕といっしょグリーンヒルでかなり身につまされるエピソードとして描かれ、ヒミズシガテラではそれを拡大して扱いました。ヒミズにおいては、完璧に女の子の救済を拒み、シガテラでは受け入れたわけですが、じゃあシガテラのラストは救済だったのかというと、僕はまったく違うと思います。社会から疎外されていた者が、なんとかして社会に参入できた。そこには分かり合える仲間がたくさん居るはずだった。しかし実際には、分かり合う仲間を得るどころか、みんな孤独なまま暮らしていて、そんな当たり前の状況に絶望していた自分は青かっただけ・・・と、絶望→脱出→脱出した先も実は絶望、という経緯を辿っています。
 シガテラのように出口のない絶望を知ると、その中でも生きていくしかない私たちは、日常を、自己暗示と強力な意志で乗り切ろうと考えます。古谷実はインタビューやコメントを見る限り、今のところそのように乗り切っているようですが、わにとかげぎすはそこから何か進展をもたらせるのでしょうか?救済少女である羽田さんに注目です。彼女の過去もここで明らかになりました。
 羽田さんが昔付き合った男、実は他に3人彼女がいて、さらに盗撮魔でした。部屋の至るところにカメラが仕掛けられてあり、それが発覚すると今度は、盗撮したDVDを持ってどこかへ姿を暗ましてしまいます。羽田さんは、今こうしている間も自分のプライベートな姿が見られているかもしれない、という不安を抱えて暮らしています。日常の中に不安を抱えているという部分は、少なくともシガテラの南雲さんにはありませんでした。南雲さんは荻野くんの不安を取り除く存在であるために、荻野くんと不安を共有し理解するのではなく、不安を切り離すような安心を与えます。羽田さんの抱えている不安は、富岡君の持つ不安と共鳴するのかもしれません。
 ちなみに、素人盗撮モノに目がないという花林くんですが、自分の彼女のエロい姿が世の中に出回っていたらどう思うか?という質問に対して、「どう!?オレの女どう!?」みたいなちょっと誇らしい気持ちがあるかも、と答えるのですが、これがとても童貞っぽくて面白いです。彼が物語のメインに絡んできて、今後どういう変化をするのか、見てみたい気もします。

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