「わにとかげぎす」第3話:甘んじて戒めを受けるつもり 〜望んで対峙する二つの時間〜

 小さい頃からずっと孤独を愛していたはずなのに、ある日突然寂しさに耐え切れなくなった男、富岡ゆうじ君。ついに孤独を捨てて外の世界にいこうと決意した矢先、彼は不吉な手紙を受け取る。「警備員へ お前は一年以内に頭がおかしくなって死ぬ」。孤独な世界から抜ける突破口を探る彼にとって、外の世界との接点はこの手紙のみ・・・。誰が何を意図して送った手紙なのか?そして、果たして彼は外の世界=向こう側に出て行き、「人並み」になれるのか?
 まあ全体的に言えばこんなお話でしょうか?今週はミステリアスな隣の住人、羽田さんが登場です。彼女はなにやら手紙に興味を示している模様。手紙に関係があるかどうかはともかく、富岡君にとって、向こう側に出ていくための突破口となりそうな予感がします。
 古谷実作品では、主人公に降って湧いた「幸運」が向こう側への突破口として描かれるのが特徴です。今までは主人公に向こう側へ行くことを決意させるのは女のコなんですが、今回はどうなるんでしょうか。羽田さんがそういう役をやるのかはわかりませんが、とにかく今のところ、向こう側への突破口は手紙です。富岡君を不安に追い立てながら、否応なしに外の世界へと急かします。「目の前に現れた かつてない困難・・・・・・・これを超えれば・・・・・・・・・」「まるで試されてるようだ・・・・・・・・“望み”が本気かどうか」。

 ところで、ちょっと前作シガテラの荻野君を思い出してみます。南雲さんというカワイイカノジョが出来たばかりの頃、彼は二つの時間で現実と対峙することになります。ひとつは今までのイジメられっ子としての「地獄のような」時間。もうひとつは南雲さんと過ごす「夢のような」時間。ようするに「夢のような」時間とは、「普通」で・きちんとした・めんどくさい・「立派」な世界の中の時間であり、「地獄のような」時間とは、それらを「向こう側」の出来事のように、他人事のように遠くに感じる人間=ダメ人間の世界に流れる時間です。
 向こう側の世界は、きちんと立派なことをすれば「夢のような」時間が保障される世界です。きちんと立派なこととは、全ての様々な不安に打ち克っていく作業です。対してダメ人間の世界は、「地獄のような」時間に生きていれば、めんどくさいことや他者に受け入れてもらえるんだろうか、という不安から守ってもらえます(ダメ人間は、ダメであるにも関わらず、ある種のストイックな姿勢が要求されます。「恋愛禁止」「さわやか禁止」「友情禁止」「熱血禁止」{行け!稲中卓球部2巻}という厳しい掟は、「向こう側」に確実に存在する、激しい不安から身を守るために自らに課した自衛策であったわけです。孤独でさえいれば、何も望まなければ絶望はしない、という単純だけど説得力のある方法です)。
 シガテラの荻野くんは見事不安を克服し、晴れて「向こう側」に受け入れられます。それは、降って湧いた「幸運」である南雲さんが居たからこそ成し得た快挙だったわけです。つまり、降って湧いた幸運がなければ「向こう側」に行こうなどとは考えていなかったかもしれません。そもそも普通/特別の境界も曖昧なままだった可能性すらあります。
 今回のわにとかげぎすでは、第1話のタイトルにある通り、富岡君は自分の意志でめざめます。彼は寂しさに耐え切れず、望んで孤独ではない世界を目指します。一度は逃げだした様々な困難や激しい不安を覚悟の上で、ここから抜け出したいと願います。そんな彼には、たとえ内容が不吉でも「幸運」の手紙が舞い込むのです。
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追記:でも、果たして孤独ではない場所とは、きちんとした世界=「向こう側」のことなのでしょうか?逃げ場がなくなった結果、富岡君は戒めを受け、困難と闘っていくことを決意しますが、それはストイックなダメ人間の「地獄のような」世界から逃げることをも意味しています。今までとは逃げる方向が逆なだけです。あの手紙は、そんな彼の精神に浸け込んだ、どこかここでもない、でも向こうでもない世界への誘いかもしれません。

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