「わにとかげぎす」第7話:買い物

 古谷実の描くヤクザってすごくカッコいい!!冷静かつ倫理的、なのに反社会的っていう多分古谷実の「こんな男になりたい」が詰まってるように見えます。
 前作シガテラの谷脇なんてものすごくかっこいい男でした。誰にも媚びず、何事にも動じず、そしてギャグセンスと、高い倫理性を持って生きています。倫理って言いますけど、社会的に善いと思われてる道徳観ということではなくて、「社会がどうあれ、自分の思う正しいこと」に忠実である、という意味です。ヒミズでも、自分の決めたそういう倫理を強く持ってる住田に、ヤクザはなんとなく親近感沸かしてたりしました。
 今回富岡君の家に居たヤクザは、人を殺すことを社会道徳的な観点からは捉えていません。ただ、自分たちにとって利益があるかどうかだけが問題になっていて、理性的に、冷静に話します。その姿勢は、例えば「思いっきりタトゥーとかが入ってるマッチョな格好しながら金閣寺を読む」というそのルックスからも伺えます。古谷実は、こういうどこまでも理性的な男に憧れているのではないでしょうか。
 感情、特に社会道徳に伴うそれは、無自覚なものが多いです。「どうしてそんなに怒るの?」と問いかけても、「いけないことをしたからだ」という返答がきます。なぜそれがいけないのかを問うことなく、ただ盲目的に決められてることに従い、他の悲しみや迷惑を考えることがない人というのはたくさんいます。しかし彼らにも、言い分があります。社会の恩恵を受けているのだから、社会のためにそれは返されるべきだと。
 昨日僕は「ナイロビの蜂」を観ました。イギリスの製薬会社が、アフリカにいる人々の生体を使った治験を繰り返している。しかし、非人道的なことを続けて出来上がるその新薬が、イギリスに莫大な利益をもたらし、イギリスの人々の生活を安定させ、イギリスの人々の幸せを築いているのである、というどうにもならない現実が描かれています。この映画を観た直後の第一声、僕たちは「おなかすいたね」という会話をしました。このことこそが、この映画を通した、とても重要なことだったと思います。
 僕たちは、ここと向こうは違うという感覚を持ちながら生活しています。どこかで自分との関わりを「切る」瞬間というのがあります(福本伸行最強伝説黒沢」を参照してください)。そうして生きることは、とても自然で、大事なことなのかもしれません。ですが、それは認識するにあたって便宜上「切った」という話であって、実際には地続きです。自分と関わりのないことはないわけです。ここに比喩的な意味は一切ありません。アメリカの一般市民がテロの標的となった理由は、「無自覚の罪」っだたわけです。
 社会から受けた恩恵と、それに報いなければならないという使命感は十分に理解できます。しかし、その社会とは、一体どこからどこまでなのでしょうか?持たざる国から搾取したり、さまざまな差別を行ったりすることで成り立つ私たちの生活空間のみなのでしょうか?
 古谷実が「不幸」に対して過敏なのは、突然起こる「不幸」も、生活から「切る」ことができないからなのかもしれません。

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