虚飾を暴く「死ね死ね団」団長前野→虚構のような現実を生きる荻野くん

 唐突だが、虚飾を暴こうという古谷実のスタンスは、実は稲中後期の時点で既に崩れ始めていたことに気づいた。「死ね死ね団」という活動によって、前野や井沢がやっていたことはなんだったのか。それは一言で言ってしまえば、ラブコメという虚構の世界に憧れて、現実世界でそれを実践しようとする者たちに対して、その不自然さを自覚させる運動だった。
 ところがそれを実践していく最中、井沢がまず向こう側に連れて行かれる。そして、完全に同士を失った前野は孤独感にさいなまれ、ものすごい不細工な女の子「キクちゃん」と付き合うことを決意する。キクちゃんはものすごいブスなのだが、でもその代わり、札束でおつりがくるくらい性格がいい。性格がいいことは何にも変えがたいことだ、という世間一般の理想的見解に盲目的に従い、前野はキクちゃんのことを好きになろうと努力する。
 このエピソードからは、「顔がいくら良くたってダメで、性格の良さは何よりも大切なことなのだ」という世間一般に蔓延するキレイゴトが、それこそキレイゴトである、という事実が浮かび上がってくる。古谷実の圧倒的な画力で描くブスはみなものすごい造形で、かつリアリティのある者ばかりだが、中でもキクちゃんはナンバー1の呼び声が高い。そしているだけで笑ってしまうようなルックスを持つキクちゃんの、しかし美しい健気な心は読者みんなの心を打つ。そういったキクちゃんの心の美しさを、前野は本心(つまりキクちゃんはブスと思う感情)を覆い隠すための自己暗示用アイテムとして活用しようとする。キクちゃんの心の清らかさを見る度、前野はキレイゴトという虚飾の世界に埋没しようと、涙ぐましい自己啓発をするのである。しかし、アクシデントでキクちゃんに目潰しを食らわしてしまった前野は、現実に戻される。それも、前野を虚飾の世界にいざなうキクちゃん自身によって、である。その瞬間、キクちゃんは痛みに悶絶しながら、前野を罵倒する。心が清らかで、人を悪く言わないハズのキクちゃんが、前野を攻め立てるのである。前野は、幻滅する。それこそ読んで字のごとく「幻滅」する。突如として自己暗示は解け、押し込めたはずのあられもない現実がよみがえってくる。(もちろん彼はどんな善良な人間でさえも怒るだろうと思われることをしているわけだが、彼が絶望的に孤独である状況から脱するためには、聖者のような人間でなければならなかったのである。)そして、彼はキクちゃんに「ブス」と告げてその場を逃げさる。
 前野は現実の虚構化に失敗し、「死ね死ね団」として虚飾の溢れる世界から目覚めることを呼びかけ続けるが、その結果、彼はヒミズの住田に生まれ変わり、自爆する。「ヒミズ」は、「僕といっしょ」が前野同様現実に負け、「グリーンヒル」でもう一度戦いを決意した直後の作品だった。「戦い」とは、立派な大人になることであり、向こう側に参入することである(トラックバック先の宮台氏のエントリでは、「現実との和解」と表現しているが、それと同じことを古谷作品の主人公たちは「戦い」と呼ぶ)。そんななか、唯一「戦い」に勝利したのが「シガテラ」であった。
 荻野くんは、いじめられっことしての地獄のような日々と、突如できた美人の彼女との夢のような日々を行き来する毎日を過ごす。ある日突然「いじめ」が終わり、全てが「夢」の時間になると、今度は自分で「夢」を消すような妄想にとりつかれる。しかしそれもやがて消え去り、「すばらしい現実」が「自分の現実」になる。しかし、シガテラはそれだけでは終わらなかった。最後の最後、「自分の現実」であった「すばらしい現実」は、夢となって消える。荻野くんには新しい美人の彼女がいる。かつての恋人南雲さんも、もうすぐ子供が生まれる。でも荻野くんは幸せだ。新しい美人の彼女を「愛している」からだ。今、彼にはもうひとつの「すばらしい現実」があるから、彼は幸せを創造(捏造?)できるのである。「現実」は交換可能になっていて、意志の力ひとつで「幸せ」は生産できるのである。

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