『わにとかげぎす』来週が最終回だそうな

 いきなりな気がして驚いてしまった。考えたら4巻で終了ってのは『僕といっしょ』『ヒミズ』と同じなわけで、古谷作品としては普通。
 まあそんな話はどうでもよくて、今回の作品、ここで終わるってのは、正直「折れた感」は否めないと思います。折れたからどうってわけじゃなくて、重要なのは“どうして折れたか”です。
 『シガテラ』までは「孤独の克服」を描いてきましたが、『わにとかげぎす』からは「孤独からの脱出」にシフトチェンジしました。孤独に対抗するために描かれる他者も、「恋人」から「友達」へ変化がありました。
 古谷作品は、途中まで結構迷走が続き、その後何かを掴むとどんどん加速していくわけですが、今回は最後まで迷走していたように思います。最後までとっかかりをつかめなかったのは、「友達」では孤独から逃れられなかったのか、『シガテラ』で到達した結論が強すぎたのか、とか。そんなことを考えています。
 『シガテラ』の結論は、“結局ひとり”ってことです。それはそれで境地なわけで、中島義道さんなんかは『孤独について』(講談社現代新書)『愛という試練』(紀伊国屋書店)などを読めばわかるように、その境地の中で生きています*1。自分で悟ってしまったことを、敢えて崩そうとしたのが、『わにとかげぎす』だったと思うんですが、やっぱり「ホントの自分はこんなんじゃない」という自意識を持たず、「向き合った自分になんて大したものはない」という自意識の薄い主人公を置いたことは、描いていくのになかなか難しいことだったと思います。
 『わにとかげぎす』は単体で見れば駄作と言われるのかもしれないけれども、また少し視点を変えて、なんだか孤独に襲われてしまったおじさんが、友達を求めているうちに徐々に幸福になっていく話・・・がしかし・・・??、という風に見ると、古谷実がぼんやりと何かを掴みかけているような気もします。
 僕は『わにとかげぎす』を、シガテラ』以後、第二のデビュー作に向けての習作、とポジティヴに捉えたいかな、と。ただ、迷走はもしかしたら今後も続くのかな、という気もします。まあ来週の最終回を待ってからの話ではあるんだけれども。
 『文化系トークラジオLife』の文化系大新年会パート4(→http://www.tbsradio.jp/life/2007/01/11lifepart4.html)で、charlieは、幸福になる自分にどこかでブレーキかけるのが古谷実、と言ってましたが、来週の最終回で今後につながる何かが提示されるかもしれませんね。
 ま、とりあえず今日はここまでで。

 追記です。仲俣暁生さんが海難記ですこし語っています。→http://d.hatena.ne.jp/solar/20070509
 羽田さんという存在は、これまでのヒロイン像(母性と父性を併せ持つ)に、弱冠“自意識”という軸が足されているような気がして、これも『わにとかげぎす』が見せた古谷作品の新しい局面だと思いました。

*1:ちなみにこの哲学者、まるっきり古谷実だと思います