古谷実論8000字のための下書き その2

肥大した自意識2

 「肥大した自意識」という衣服を纏うことを忌み嫌いながらも、すっぱだかの自分を直視できない彼らは、誰かにすっぱだかの自分を見てもらい、且つまるごと受け入れてもらうことを願う。古谷作品における「恋愛」は、基本的にどれもそのような構造で描かれている。その中心にあるのは、恋人と真の関係を結ぶことによる救済への期待である。
 『稲中』12巻の『心』『愛』『目を狙え』という連続したエピソードに登場する女性キクちゃんは、すっぱだかの前野を受け入れてくれる可能性を持っていた。前野は、顔はブス(この造詣がまたモノスゴイ)だが、心はものすごくキレイな女の子、キクちゃんから愛の告白を受け、付き合うことを決意する。井沢からキクちゃんがブスだと指摘されると、前野は以下のような返答をする。

お前にとって女の子は服や車といっしょなんだろ?ショボい自分をきわだたせるためのいちアイテムにしかすぎないんだろ?(中略)オレは違うね・・・・見た目を自慢するために女性とおつきあいするんじゃない 互いに真の愛を追い求めるために心の美しい女性を探していたんだ・・・・

「人間の美しさは見た目とは関係ない。心である。」。そんな「大文字」の考え方にアンチを唱え続けてきた前野であったが、このエピソードにおいてはアンチの姿勢を一端崩し、「大文字」の価値観にあえて身を委ねることを実践する。それは実際、前野が世間一般に流通するその言葉の虚飾への挑戦であり、同時に彼自身の理想でもあった。世の中のキレイゴトを嫌い、それらと本気で差別化を図ろうとしたのである。
 デート中、やはり前野はキクちゃんと一緒に街を歩くことに恥ずかしさを覚えてしまい、偶然出会った友人に彼女をペットだと言い放つ。それは自分の醜い自意識を露呈させることであり、彼は世のキレイゴトと差別化を図りながら、結局ショボい自分を直視できない自分に絶望するのである。しかしそんなひどい仕打ちを、キクちゃんは「私はブスだからしょうがない」と話し、受け入れてくれる。前野にとってそれは、弱くてショボいすっぱだかの自分が受け入れられる可能性を感じた瞬間であり、以後前野はキクちゃんと一緒にいることに喜びすら感じるようになる。
 結局キクちゃんと前野の関係は、あるアクシデントを機に崩壊し、前野は救済されないままであるが、それはその後の古谷作品に継承されることになる。