古谷実論8000字のための下書き 設計図

 古谷実の作品には、常に「孤独」が描かれる。主人公たちが、ほとんど執拗と思われるほどの誠実さを持ち合わせているのは、彼らが孤独の恐ろしさを知っているからである。孤独を恐れ、そこから逃れることを考えてきた結果が、いってみれば求道者としての彼らを作っているのだと思う。

思春期の孤独1

 『行け!稲中卓球部』『僕といっしょ』『ヒミズ』は、思春期の男子を扱った作品である。この時期の少年たちは、非常にアンビバレントな形で孤独と向き合っている。つまり孤独とは、誰からも必要とされない(と思っている)状態であると同時に、誰も必要としていない(と思っている)状態でもある。それはさみしいというネガティヴな感情とともに、全能感に支えられた、ある種の居心地のよさみたいなものも用意する。
 『稲中』・・・・・・肥大した自意識と死ね死ね団。キクちゃん。
 『僕といっしょ』・・イトキンと村田マリコのエピソード。

思春期の孤独2

 思春期を過ぎ、中学生の頃のようなハイテンションが通じなくなると、死ね死ね団的な連帯という出口はなくなる。つまり、孤独の持つネガティヴな側面は死ね死ね団のような友達関係が解消し、孤独の全能感のみが残るしくみになっていたのだが、例えば彼女が出来た井沢や、そのときの前野のように、友達という関係の外側の世界に出ざるを得なくなる。そのときに、友達同士のハイテンションと爆笑でかき消されていたはずの孤独が顔を出し、次第に視界から消えなくなってくる。それが『ヒミズ』および『シガテラ』という作品である。
 『ヒミズ』・・・・孤独の全能感を選び取る。
 『シガテラ』・・・孤独の全能感を捨て、恋愛を通して交換不可能な関係を築き上げようとする。真実を求める。

いい年こいた大人の孤独

 『グリーンヒル』・・・・もはや肥大した自意識を持たず、ただ情けなさばかりが目立つリーダー。
 『わにとかげぎす』・・・友達が欲しい富岡。